祈りと修行のプロジェクト
「祈りのない宗教はない、修行を基礎におかない仏教はない」がこのプロジェクトの基本理念です。浄土真宗では「祈り」や「修行」を教義(ドグマ)として禁じています。しかし真宗の僧侶でさえも門徒達の亡き方々に手を合わせ、念仏を唱えている行為に接するとき、その行為を「祈り」や「修行」と感じざるを得ないことを密かに知っていると伺っています。瑜伽行唯識思想は熱心に修行を実践する修行者達が、本来は言語道断として言葉では表せない個々人の修行体験を記録のためと後進の修行者達を導くために、サンスクリット語という言葉を選んで、その内容を託し込んできたものです。そこで修行者達の生の声や姿を基礎におく特に初期の理論を実践理論、玄奘三蔵が中国に持ち帰り、中国唯識教学や日本法相教学などのように体系として整合性の高い理論として作り上げた理論を教義理論と表現し、このプロジェクトでは唯識理論に歴史的な推移を見据えて理解することにしています。その上で、文献に残された修行者の生の体験と現代の生きている人間(修行者を含む)から得られる脳波などのデータ解析との摺り合わせを行っています。
個々人で異なる修行というものを、普遍性客観性に重点を置く学問の俎上に載せるのは難しい問題です。アメリカやヨーロッパでは禅僧やチベット僧などの修行を脳波やMRIその他医療分野などを含めた科学技術を用いて盛んにデータを集め、研究成果として学問の俎上に載せてきています。しかし、特にサンスクリット語原典やチベット語訳、漢訳に残る過去の膨大な修行者達の資料とつきあわせる作業はほとんどされていないのが現状です。
そこで、このプロジェクトでは、瑜伽行唯識思想の研究者を含めた仏教研究者、禅定修行の専門家、脳科学や心理学の専門家とともに禅定瞑想を軸に共同研究することで辿り着いた成果を、しっかりした学問としての成果に結びつけることを目的としています。この目的のために、本来的には修行体験は修行者それぞれ個々人で異なる「自内証の法門」つまり「個別的な特徴」ですが、その特徴を観察し、分析し、理論化し、可視化することによって、多くの修行者に「共通する特徴」を見いだすことを目指しています。さらには、禅定瞑想修行というものが現代社会に貢献できるものであることを、皆さんに再認識してもらうことを目指しています。